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退職したIさん
こんにちは、CD室の熊崎です。
3月末で退職した社員について、書き残しておこうと思います。
本人のプライバシーもありますが、きっと「全然、大丈夫ですよ」と言うと思うので(笑)、遠慮なく。
Iさんとの出会いはエン転職でした。
私は初めて転職媒体を使ったんですよね。採用コストという言葉も初めて知りました。
今じゃその感覚は麻痺しかかっていますが(←いや、麻痺しちゃいかん!)、当時は会社も採用にお金をかけたことがありませんでした。
だから、一人も採れなかったら・・・というプレッシャーはなかなかでしたよ。
私は右も左もわからず、代理店の方と相談しながら進めていきました。
エン転職のような媒体には、スカウトメールという機能があります。
登録をしている一人一人に対して、その名の通りスカウトメールが送れるのです。
テンプレートを作って、一斉送信というのが定石。
しかし、定型文を送るのは、『誰でもいい』と受け取れなくもないから、求職者の方に対して失礼だろうと思い、私は一人一人職務経歴を読みながら、個別にメールを送っていきました。
しかし反応はなかったですね・・・
こんなものなのかなという思いもありましたが、しかし今日まで、スカウトメールは同じポリシーで送っています。
ウルクルは小さな会社ですから、知名度は全くありません。平均律で返ってくることは期待できない。
大きな網を投げても、網の間から逃げてしまう。。
だから銛を持って素潜りするしかないのです!
ちょっとたとえが悪いですね・・・
かっこよく言えば『弱者の戦略』、でもその実は泥臭い仕事・・・
媒体の掲載期間は、たいてい寝不足になります(笑)。
職務経歴を読み込んでメールを書く時間を考えれば、どうでしょうね・・・
一人5~10分はかかるでしょうか。当時はもっと遅かったと思いますね。
そんな私のスカウトメールに応えてくれたのが、Iさんだったんです。
私が一番興味を持ったのは、Iさんは女性として生まれたけれど、男性として働きたいと書いてあったことです。
私は前職でそういう方との関りもありましたので、それ自体には全く抵抗はありません。
しかし、おおよそ隠しておきたいとか、知られたくないとかいう方が多い中で、Iさんは明言していました。
全く見ず知らずの企業の人事が見る職務経歴の中にです。
珍しい人だなと思いました。
それで面接して、いろいろ話を聞かせていただきました。
結果、採用となったんですが、その後は大変でしたね・・・(笑)
何がって、まずパソコンが全く使えませんでした。
人差し指一本で押していくわけですから・・(笑)
でも彼は努力の人でした。
会社で使っていないパソコンを持ち帰って、仕事後に自宅でパソコンの練習を毎日したんです。
そのかいあってか、みるみるうちに使えるようになっていった。
これには私も驚きました。短期間ですごい上達しましたから。
実は彼は、3歳から大学卒業までずっとサッカーをやってきました。
選抜にも選ばれたり、リフティングを7時間やれるくらいの実力者。
たとえば、高速道路を80km/hで7時間、休憩なしで走り続けるようなものです。尋常じゃない。
彼は、基礎をしっかりと積み重ねるという体験を持っていたのです。
これは本当に大きい財産です。
誰しも生きてきた背景が違い、得意不得意も違う。
私は彼から、過去の体験が仕事にも影響することを学びましたし、努力とはなんぞやということを、改めて教えてもらった気がします。
努力を努力と思わずできるかで、人とは違う景色が見えるようになる。
世の中に蔓延る8時間労働ブームにあって、彼はいい意味でマイノリティだったわけです。
Iさんは、ウルクルの企業理念のひとつである『個を尊重する』を、体現した第一号でした。
会社の愛されキャラとして、1年半頑張ってくれました。
政岡にはしょっちゅう怒られていましたけど、愛がありましたからね。
彼もそれに応えようと、必死に食らいついていました。
1年半という期間はとても短かったですが、ご実家の都合でUターンしていきました。
彼にとっても人の役に立つ仕事とか、面白さや喜びなどを知ってもらえた時間だったのではないかと、私は思っています。
これからの彼の人生において、ウルクルでの経験が、少しでも活きてくれればいいなと思っています。
そして、彼への餞別?というものでもないですが、私の春コートをあげたんです。
なんか中学生の第2ボタンくださいみたいな終わり方も、私の印象に強く残っています(笑) -
採用の歴史 その1
こんにちは、CD室の熊崎です。
年の瀬に近づいてます。昨年の今頃はコロナウイルスが中国で流行っているらしい・・・くらいの情報だったでしょうか。それが世界中の脅威になるなんて全く予期していなかったことです。今では東京はマスクを着用していない人を見ることのほうが珍しくなりました。たった一年で世界が変わるという歴史的時代にいることだけは間違いありません。
さて、ウルクルの採用の歴史を残しておこうと思いまして、画像を張り付けておきます。これは1年くらい使ったものです。採用ページを作るにも意図があります。面白いだけでは自己満足になってしまいますから。見る側が何をキャッチするかが大事ですが、いい人がたくさん入社しました。
このページは役割を終えたので、現在は次のステージに進んでいます。 -
旅立ち
おはようございます、CD室の熊崎です。
先日、一緒に働いてきたひとりの社員の旅立ちを見送りました。
彼は私が初めて採用した社員でした。
当時の私は、不動産においては右も左もわからない未経験者で、採用も直接にはしたことがなく、それなりに重ねた年齢だけが拠り所でした。
お互いに緊張していたことをよく覚えています。
入社した時というのは誰でもそうですが、自信もなければ何をするかもわからないので、本当に弱々しいですね(笑)彼もそうでした。
「大丈夫かな・・・」というところから、だんだんと成長していく姿を見れることこそ、人事の1番の面白味でもあると彼には教えてもらいました。
彼は休みであっても自発的によく勉強していたことを私は知っていますし、どこからどうみても真面目の塊で、仕事には熱心に向き合っていました。自分が彼の年齢だった時のことを思えば、本当にありえないくらい真面目に仕事をする姿勢には尊敬しかありません。
彼は初めての営業職でしたが、人当たりがよく、敵を作らなかった。それは彼の持つ個性であり、ウルクルの中では最も秀でていたと思います。
このまま成長したらどこまでいくんだろうという楽しみがあったのですが・・・
故郷を持つ人には共通した課題があります。
彼も入社した頃に、「いつかは・・」と聞いていました。まさかこんなに早く来るとは思いませんでしたが。
ウルクルにとっては残念な退職になりましたが、彼がウルクルでひとつでも何かを得ていたらいいなと思います。私としてはもう少し一緒に働いていたかったという思いが未だに残っていますが、彼のこれからの人生が豊かになることを願うだけです。
また東京に来た時に、遊びに来てくれたらなと思います。
(KUMAZAKI) -
LTMがウルクルから独立したこと
こんにちは、CD室の熊崎です。
今日は嬉しくもあり、寂しくもあるお話しです。
ウルクルパートナーシップ第1号として共同経営をしてきました株式会社LTMが、6月末を以ってウルクルグループから独立しました。
2016年9月からの3年と9ヶ月、苦楽を共にしてきた経営者のルカさんと従業員の皆さんには、これまでの道に花が咲くように、そしてこれからの未来が輝くものとなるように心から拍手を贈りたいと思います。
私自身、彼らの存在はとても頼もしくありました。特にこのコロナ渦で、飲食店は大打撃を見舞われました。86番も例外なくその波には抗えませんでしたが、その時にルカさんの営業姿勢には、本当に尊敬でしかありません。
思い出を振り返ればたくさんありますが、お店に行けばいつも楽しい思い出を作って来れました。最近では腕相撲を社員でやろうということになり、その場にいた見知らぬお客様も巻き込んでの一本勝負。
私も落ち着いた年齢になってきた自分を戒めるためにも「よっしゃぁ!」と意気揚々と参戦したわけですが、さすがに体は衰えていて、無理にしたものですから筋をやってしまって、、回復までに半年近くを費やすというバカもしました。
お土産のケバブはいつも容器にギュウギュウ詰めの超特盛にしてくれて、電車でそれを持ち帰るときにどうしてもこぼれてしまう匂いに、手提げ袋が注目されてしまうことも。。
私はお酒をほとんど飲みませんので、86番と出会うまではバーなんかには行かなかったんですが、こんな素敵な場所があるならいいなと思わせてもらった場所でもあります。
ここまでの経営は順風満帆だった、と見栄を張って言いたいところですが、そんなわけはなく。しかし決して折れることのなかったそのマストは、荒波の航海でさえも、船長と船員の行動力で乗り越えてきました。このコロナだって見事に切り抜けています。本当に拍手のシャワーです。
あまり私の感情が入ってしまう前に、文章は書き終えたほうがいいですね・・胸がジーンとしてきました・・・つい最近では彼らとの時間が夢に出てきて、私は泣いてましたね(笑)。
これからは、遠くから見守ることしかできませんが、またウルクルの社員で遊びに行ったり、コロナが収まったらBBQなんかもみんなでできたらいいなと思います。
本当に素晴らしい時間でした。
またこれからもよろしくお願いします!
(KUMAZAKI) -
温かい人たち
こんばんは、CD室の熊崎です。
先日、社員のみなさんに素敵なドッキリをしかけていただきました。
そろそろ19時になるからと、終業に向けて仕事を終わらせようとしていたその時、会社の電気がパチン!という音とともに暗くなりました。
「あれ?誰かが間違えて消したのかな・・・」
そう思っていたら、会社のバックヤードからハッピーバースデーソングを歌うMASAOKAが。
低い声でね(笑)。
それに合わせて他の社員も歌い始めた。
歌い出しのキーが低いもんだから、全体的に重たいハッピーバースデーに(笑)。
しかもみんな歌い出したMASAOKAのキーに合わせないので、いや、合わせないというより合わせようとしてキーを試行錯誤している歌い方でしたね・・・低すぎて合わせにくい・・・
だからあちこちで音程がずれていて、聞いてるこちらは背筋に寒気が走りながらという人生初体験のハッピーバースデー(笑)。
全く予期していなかったことで、嬉しいは嬉しいんですけどね・・・(汗)
というのも、私の誕生日は元旦なので、親以外に誕生日を祝ってもらうことが少なかったんですよね。だから祝われ慣れていないというか・・・(笑)
それで誕生日プレゼントの箱を開けてびっくり。
「ん?クマのぬいぐるみ?」
さすがに44歳になって、クマのぬいぐるみかー・・・とよく見ると、なんとチョコレート!
甘いものには目がない私ですが、さすがにぬいぐるみと見間違うほどのチョコレートは初体験だったので、驚きが後になってやってきました。
しかしこれはすごい技術・・・
どう頑張ったって作れません。。
ありがたく家に持ち帰らせていただき、息子に見せると、あれこれ観察した後にようやくチョコレートとわかり、「ぼく、耳食べたーい」(笑)。
ガブリとしましたが固いので全然食べられず。。ちょっとずつかじりながら食べていましたが、その光景はなんとも異様というか面白かったですね。ぬいぐるみをかじりまくるわけですから(笑)。
さて、時間を置いてみると、誕生日を祝っていただいたことはもちろん嬉しいですが、何より見たこともないチョコレートをどうやって見つけ、それをプレゼントしようと思ってくれたことへの想いが伝わります。
祝ってくれる瞬間よりも、そのプロセスにはもっと時間がかかるし、想像力こそ必要でしょう。私を喜ばせようと時間を使ってくれた社員のみなさんには本当に感謝しかありません。
このチョコレートは、味はもちろんおいしかったですが、スペイン王室御用達なんですって。そんな高級なものをいただいてしまっては何もしないわけにはいきません!みんなのために、もっともっと頑張っていきたいと思います。
(KUMAZAKI) -
ビジョンを策定しました
ビジョンを策定しました。