【高橋益行さん略歴】
20代前半まで職を転々とするが、ふとしたことから飲食業界へ。和をベースとした創作料理と人懐っこいキャラクターで、おいしい料理はもちろんのこと話せるビストロ、クークーを2020年7月にオープン。お店はカウンター席のみのBARのような雰囲気で一人で来られるお客様も多い。高橋さんとの距離も近いため、お客様の体調や気分に合わせた料理を作ってくれるパーソナル食堂のようなスタイルで営業している。
今回はチャンスだと思った
◆高橋さんが料理人になろうと思ったきっかけは何だったのですか?
母が働いていた総菜屋ですね。オーナーさんから「人がいないから手伝って」と言われて入ったんです。23歳くらいだったかと。
◆親子で同じ職場ですか(笑)
オーナーさんと母と二人でやっていて、5坪くらいしかなかったんですけど三鷹の商店街でものすごく繁盛していました。そこに僕が入ったんですけど、母の接客はとても人に好かれるんです。オーナーさんも母をすごく信頼していて、時給(ナイショ)円もらってたんですよ。
◆えっ!!!アルバイトの時給じゃないですね・・・
そうなんです(笑)。そんな母の背中と、人と接する仕事が好きだったから、なんとなく飲食の世界は楽しいなと思ってました。そして将来自分の働く姿をイメージした時、料理人だったんですよね。
僕の場合、どれがかっこいいかっていう典型的なナルシシストです(笑)。それと母からは「絶対会社員になるな!」と育てられましたので(笑)
◆絶対会社員になるなって…(笑)。親の影響って大きいですね。独立願望はあったんですか?
27歳までには独立しようと思っていましたが、それは叶いませんでした。その後も色々やって、経験も積んできたし、そろそろかなとなって、86番のルカに声をかけたんです。
◆ウルクルのパートナーシップ1号のルカさんですね。
そしたら「ウチは夜しかやってないからランチやる?」と言ってくれて、間借りだったので何かと都合もよかったんです。
◆でも3ヶ月やったところでコロナが直撃しました…
いや~ほんとまいりました・・・。コロナ来てなかったら儲かってたと思うんですよ(笑)。お花見シーズンを狙ってやってましたので。
◆間借りしていたBarが閉店することになり、その店をそのまま高橋さんが運営しないかという話が持ち上がりました。
漠然とですが、ランチのお客さんの層なども踏まえて、長年このエリアで続ければ安定はするなというイメージはありました。半年後くらいにはコンスタントに売り上げを上げられるんじゃないかなと。もしあのランチの期間がなかったら、この話には乗ってなかったと思います。
◆とはいえ世間はコロナ自粛最中です。それでもやってみようと思った理由は何ですか?
決断するまで3日しかなかったんですけど、今回のお話は僕にとってメリットしかありませんでした。ウルクルの皆さんに協力していただけるし、知らない場所でやるより、3ヶ月でしたけど営業したエリアですからね。
チャンスが来た時にそれに飛びつけない人間はチャンスを逃す
◆お知り合いの飲食関係の方の反応はどうだったんですか?
飲食業界ではニッパチ(2月と8月)は売上が停滞する時期と言われています。店をオープンするのが7月、しかもコロナで儲からないのは100%わかってるのにやるなんてすごいね、男気あるねと(笑)。母も心配してましたね。
でも知り合いの経営者の方から、「チャンスが来た時にそれに飛びつけない人間はチャンスを逃す」と言われていたのが僕の中にはあって、今回はチャンスだと思いました。コロナの中でオープンしたのも、見方を変えれば、ここからうまくいけばそれはすごいことだと思うんです。もちろん失敗したら、だよね…となるわけですが(笑)
◆ウルクルパートナーシップについてはどうですか?
最初は騙されてるんじゃないの?と言われましたよね(笑)。向こう(ウルクル)もビジネスなんだから、もしずっと赤字だったらずっと尻拭いをするなんて考えられないでしょと。
でも自分で好きなことやらせてもらえるし、最悪ダメだったら別の仕事してお金返せばいいと思ってます。周りの人たちも、自分がやりたかったことなので、今では応援してもらってますけどね。
◆今回の契約書には返済といった文言はありません。普通に考えたら信じられないですよね。ウルクルはベンチャーキャピタルに似ていますがちょっと違います。代表のトウドウは昔料理人の世界にいたことがあって、今は不動産会社やってますけど、飲食が大好きなんです。でも自分の体は一つなのでお店に立つことはできない。だから高橋さんのような料理人と一緒に仕事が出来たり、夢を叶えるお手伝いができるなら両得じゃないですか。料理の作り方とか聞かれませんでした?
ええ、むちゃくちゃ聞いてきますね(笑)
◆(笑)。もちろんうまくいかないこともあるでしょうけど、サポートは全力でしますのでそこは信じて思いっきりやっていただきたいと思います。
そうですね。トウドウさんには鯛一郎クンを紹介していただいたり、自分でやってたらこんないい鯛は引けなかったと思います。久しぶりにさばきがいのある魚でした。
◆オープンまではどんな心情だったんですか?
正直なところ不安だらけでした(笑)。もちろんワクワクもありますけど、キャッシュがとにかく減るわけじゃないですか。準備期間が2週間くらいしかなくて、できれば3ヶ月くらいほしかったですよね(笑)。
魚も間違ってはなかったけど、やってみて改めて魚って難しいなと。
会社員の時に出してきたお店とは全く違う
◆確かに2週間は短すぎましたね・・・。よくここまで漕ぎつけたと思います。でも立派なお店ができたんじゃないでしょうか。
ウルクルの皆さんには本当に手伝っていただきましたし、自分一人だったら100%無理でしたね、こんな短期間では。
やってみて初めてわかることがたくさんありますけど、何より周りで独立されている方には、今は尊敬しかないですね。これまで会社員としてお店はいくつも出したことがありますけど、それとは全く違います。
◆雇われていた時と違いますか?
どんどん願望が高くなっていきます(笑)。今は魚料理に対する満足度を上げたい。料理もまだ2割くらいの再現度なので。
◆今で2割ですか!?奥が深そうですね・・・
料理がおいしいというお店はたくさんありますけど、僕は魚男(フィッシュマン)というお店が好きで、ここはイベントをしょっちゅうしているんですよね。僕もそういうお店にしたいなと思っています。
どうやったらお客様の期待値を上げられるパフォーマンスができるか
◆イベントですか??
お客さんのコミュニティをたくさん作って、イベントを企画してそれを発信し続けたいんです。例えばマグロ1本仕入れるから集まりませんか?とか、クエとかカツオとか、お肉でもいいですね。毎週やりたいんですよ。
どうやったらお客様の期待値を上げられるパフォーマンスができるかをずっと考えていたい。
◆いいですね!すごく動きがある感じがして。
承認欲求の塊ですから(笑)。人にすごい!と思われたいという(笑)。僕は小さいころから情熱大陸とかアナザースカイが好きだったんで(笑)。ナルシスト気質があるんでしょうね(笑)。
◆お母さまも商売人ですもんね。
おしゃべりですからね~。その血は間違いなく引いてると思います(笑)
◆そういえばそのお母さまをオープン日の一番目のお客様としてご招待したんですよね。
ええ。ねずみ年の人をオープンした一番最初のお客様にすると縁起がいいというゲン担ぎの話を聞いたことがあって、ちょうど母がねずみ年だったんです。
◆お母さまが第1号なんて親孝行ですよね。料理の評価はどうでした?
美味しいと言ってました(笑)
◆素敵な話ですね。まだ始まったばかりですけど、将来の夢とか目標はありますか?
2年以内に2店舗目か、大きい場所でお店をやるという目標があります。道玄坂でやりたいですね。
◆2年以内ですか、それは楽しみですね。その頃にはコロナとの付き合い方も日常になっているでしょうし、何より高橋さんという人柄にお客様も集まっているように思います。
コロナの中にもチャンスが落ちていて、僕はそれを拾った。というシナリオで情熱大陸に出たいですね(笑)
Bistro Coucou
東京都渋谷区桜丘町16-8 atlas桜丘ビル2F
電話:03-6427-0508
営業時間:[月~金] 11:30~15:00 17:00~24:00 [土] 17:00~24:00
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【SUZURO×JOYN×ULUCUL対談】
【ニッチローさん略歴】
飲食系の企業に勤めていた際、顧客からイチロー選手に似ていると指摘されたことをキッカケにイチロー選手のモノマネをするパフォーマンス活動を開始。
モノマネ芸人、お笑い芸人、プロ焼肉選手、カレー伝導師、他方面でマルチに活躍中。
【株式会社JOYN DAMIANオーナー 後藤宏尚さんの記事はこちら】 -
その一言で、急にうずうずっとした【DAMIANオーナー 後藤宏尚さん】
【後藤宏尚さん略歴】
もともと幼稚園や小学校の時の将来の夢に、お店をやりたいと書いていたくらい小さな頃から何かを作ることに関心を持っていた。 飲食の道に本格的に進んだのは大学生の時。結婚式場が運営しているカフェにバイトで入り、その後正社員に。 この時すでに30歳までには店を持ちたいと具体的な年齢も決めていた。仕事をする傍ら色々な料理を食べ歩いては家で作り直したり、ノートにまとめながらabillへの礎を築いていく。 その後、スペイン人オーナーシェフのスペイン料理店や仕出し弁当屋などの個人店で経験を積み、開業する規模感のイメージを膨らませていった。 いよいよabill開店に向けて物件の契約を進めていた時、契約直前まで行って断られるという苦い思い出も経験。そして2010年6月、下北沢にビストロ酒場abillをオープンさせた。しかし翌年の3.11東日本大震災で、お店も自身の考え方も大きな転機を迎える。幸いなことに地域密着営業だったこともあり、地元の人に助けられたり、奥様(まりなさん)との出会いもあり人の縁に恵まれる。現在は夫婦でabillを営業しながら、ダミアンのプロデュースを行っている。