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  • ウルクルパートナーシップ誕生ストーリー

    ウルクルパートナーシップ誕生ストーリー

    私は愛媛県の宇和島市で育ち、母がおいしいものが大好きだったこともあり、なんとなく将来は飲食の道に進もうと思っていました。高校卒業後、家から近いという理由だけで寿司屋に就職しました。

    寿司屋ではやることなすことが楽しく、朝から夜中まで働いて12万の給料でした。寿司屋の師匠にビジネスとは何かを教わり、店のオーナーと従業員が得る対価は全然違うんだなと19歳にして初めて気づきました。この頃から漠然とお店をやってみたいと思いだけが強くなりました。しかしこの給料では到底無理でした。



    寿司屋の仕事を辞め、営業力を身に着けることも必要だと思い松山市に出ました。開業資金を作るためにも『独立して年収2千万』を謳い文句にしたパンクが流れる訪問販売会社に入りました。社長は私と同じ20歳で2000万稼いでいましたし、一軒家に6人で住んだり、酔っぱらった同居人が窓ガラスを割って家に入ったり、仕事中に海へ行ってサッカーをしたりと、破天荒な人たちとの暮らしの中で、密度の濃い時間が過ぎていきました。仕事に目標を持って徹底的にやり切ることを覚えたり、マネージャーとしてメンバーのモチベートやチームで売り上げを作ることを覚えていきました。しかし残念なことに2年経たないうちに会社が傾いてしまい、一念発起して東京で働くことにしました。



    仕事も住むところも決めず、無計画に期待だけを膨らませ、キャリーケース一つで夜行バスに乗りました。新宿に着いたその足で家を探そうと入った不動産屋で、「ウチなら100万稼げるからおいでよ」と言われ、そのまま入社しました。ただ入居までに5日必要だったので、漫画喫茶で寝泊まりして過ごし、やっと入居しても契約金で全財産30万円を支払ってしまったので、布団もカーテンも買えず、外から丸見えの家で段ボールに挟まりながら寝てました。しかも冬に突入しようという季節でした。ニトリでカーテンと布団の値段を確認してモチベーションを高め、猛烈に働きました。電球もなくエアコンもない。まるで他人の家に忍び込んで暮らしているようでした。その暮らしをとにかく脱出するために、一日でも早く布団とカーテンを買うために必死でしたね。

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